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東京から70分の高原都市
佐久市は、都市の利便性と人々を惹きつける豊かな自然資源
(森林/長い日照時間/星空のメッカ/清らかな空気/八ヶ岳や秩父山系からの豊富な伏流水/風光明媚な景観/豊かな動植物の生態系など)と そこから生まれる農水産物や加工食品など、健康をもたらす環境は枚挙にいとまがなく、総合的な機能を備えています。
◆ 佐久市の位置と地勢
長野県の東端にあり、東は群馬県に接し妙義荒船佐久高原国定公園が展開され、北に国際避暑地である軽井沢や 浅間山、南に八ヶ岳中信高原国定公園に囲まれ、美しい自然に恵まれた佐久平の中心地です。 市の中心を千曲川が貫流し、その清流は名産佐久鯉を産むとともに、肥沃な耕地を形成しています。
◆ 佐久市の気候
佐久市は、高燥冷涼で寒暖の差が大きい内陸性の気候で、年間の平均気温(約10℃)が全国平均(約13℃)より も低く、降水量は年間1,000mm前後と全国的にも少ない地域です。 また、日照時間は年間2,000時間前後と全国平均(約1,500時間)を大きく上回っており、晴天率の高い地域です。
◆ 佐久市のおいたち
「佐久」の名が日本の歴史に登場するのは、いまから約1,500年前のことになります。 清和・陽成・光孝三代天皇の歴史を編さんした「三代実録」に出てきます。ついで、「延喜式」にも記されています。 佐久の語源については、諸説があり、定かではありません。 佐久市内では、至るところで縄文、弥生時代の遺跡、遺構が発掘され、歴史時代以前から、先住民族が住んでいたことが立証されています。 佐久の農村集落が、はっきりした形で生まれたのは、平安末期といわれています。 大井庄、伴野庄、平賀庄などの荘園がつくられ、戦国時代に入って、武田氏(甲斐)の支配する所になります。 徳川時代に入り、平賀、岩村田に代官所が設置され、天領として統制された所と、龍岡藩、岩村田藩、小諸藩の私領となっていた所とがいりまじるようになります。
◆ 佐久市のデータ
●佐久市の人口・世帯数 総 数:101,138人 男 :49,582人 女 :51,556人 世帯数:38,529世帯 (平成22年2月1日現在) ●佐久市の面積:423.99㎞2 東西:32.1㎞ 南北:23.1㎞ ●佐久市役所の位置 佐久市中込3056番地 北緯:36度14分56秒 東経:138度28分37秒 海抜:692㎞
●日本で海から一番遠い地点
日本で海から一番遠い地点が佐久市にあります。 それは雨川ダムの南東約1900mの群馬県との境界尾根近くに位置し、日本で海から一番遠い地点(114.858km)となります。 これは、平成8年11月に筑波大学の学生が建設省(現在国土交通省)国土地理院に問い合わせたことがきっかけで、地理院の職員がコンピューターを駆使し一か月ほどで割り出しました。 イメージ的には、広大な土地を持つ北海道の方が遠い地点がありそうですが、北海道で最も離れた地点は、石狩山地美瑛岳の東約7キロ地点で、海岸線から108.2kmのようです。 参考:佐久市勢要覧 2010年版 |